お笑いコンビ「アイデンティティ」が明かす貧乏時代とブレークネタ誕生秘話
田島 生徒の中で僕は1年の時のコンビから太田プロのライブに専門学校からのひと枠で出させていただいていて、2年でアイデンティティを組んでからもその流れで出られていました。
見浦 テレビで見ていた人と同じ舞台に立ててうれしかったです。若いこともあってライブでネタのランキング上位に食い込めた時もありました。卒業後はそのまま太田プロに所属できました。
■牛丼屋、パチンコ店の深夜清掃、マンガ喫茶、コールセンター…
田島 それからライブとバイトの日々。最初は牛丼屋さん。次にコンビニ。他にはパチンコ店の深夜清掃。
見浦 僕はコンビニ、マンガ喫茶、長く働いた深夜のコールセンターは夜の11時から朝の9時。バイト終わりでちょっと寝て、ネタ合わせ。「爆笑オンエアバトル」(NHK=※ネタの高得点芸人がオンエアされる)にもすぐ出られましたけど、オンエアされない時期が続いて「厳しいな……」と感じました。地元の広島収録があった日に両親が観覧に来ましたが、最低の得点で最下位でした(笑)。ようやくオンエアされるようになったら、番組が終了。