“眞子さんの乱”長期化は、親身になって皇族を守る側近官僚がいなくなったことが原因
記者会見でお言葉を聞けるのは今も昔も同じだが、美智子さまが妃殿下の時代には、それ以外に両殿下のお気持ちを代弁する人たちがたくさんいたと、古参の皇室記者から聞いたことがある。
「お言葉が少なくても何となく東宮の空気を忖度できたものだ。ところが今は、(徳仁)皇太子ご夫妻のお気持ちを知ろうにも、語る人がいない。たとえそういう人物を探し出しても、どんな『ご遠慮』があるのか、口を閉ざしてしまう。どうしてこんなに言葉が少なくなってしまったんだろうね」
ちょうど雅子さまが「適応障害」で御所に引きこもるようになった頃だったが、元女官からこんなことを言われたことがある。
「妃殿下がご病気だとわかっても、こちらからうかがうこともできない世界です。ここで私がしゃべったことがわかったら、どんな仕打ちがあるか……」
肩をすくめて、申し訳なさそうにつぶやいたのを思い出す。
その頃、古手の宮内庁職員から「平成の世になってから官僚の発言が強くなり、宮中が次第に変わってきた」とも聞いたが、おそらく御代替わりを機に、昭和天皇とともに歩んできた職員が辞め、かわりに新たな官僚たちが入ってきて、宮内庁の官僚化がさらに進んだということだろう。雅子さまが「適応障害」と診断されたときも、彼らはいったいどんな努力をしたのだろうか。「眞子さんの乱」が4年も続いたのは、組織が硬直化しているからではないか。