“眞子さんの乱”長期化は、親身になって皇族を守る側近官僚がいなくなったことが原因
皇室には「オモテ」と「オク」があり、時代に対応した改革が進んでいないことを前回書いた。「眞子さんの乱」が長引いた原因もそこにあるように思える。男尊女卑の「オク」が変わらなければ、皇族の結婚はさらに難しくなるだろう。それには、同時に「オモテ」の改革も必要になる。「オモテ」の改革とは宮内庁の改革のことである。これがなかなか簡単ではない。先に昭和天皇が宮内庁のセクショナリズムを批判したと述べたが、こんなことも語っている。
〈宮内庁へ人の来ぬのは、経済上の不利の理由もあろうが、立身出世主義である事が主原因だと思ふ。自分の為、自分を光らせるといふ事に熱心で、自己の利益、権利、自由といふ事を主張して(略)権利だけで義務の念がない〉(「昭和天皇拝謁記〈1〉」)
戦後のデモクラシーをはき違え、自己中心的な人が増えて良い人材が集まらなくなったとこぼされたようだ。
宮内庁の職員が変わったのは戦後かもしれない。戦前の宮内省は内閣から独立していて、宮内大臣をコントロールできるのは天皇だけだった。また上級職員は天皇の名において雇い、天皇が認証する天皇の官吏だったが、戦後は内閣の下部組織になって天皇は人事権を失った。現在、一般職員には国家公務員試験に合格した者などが採用されるが、長官や次長、式部官長、皇嗣職大夫など上層部は霞が関の官庁から送り込まれる。上が日和見を決め込めば、下もそれに追随するだろう。それでも、1980年代までは、まだ戦前の面影があったという。