ピン芸人・永野さん「日本を代表する『気持ち悪い笑いの映画』を作りたい」
行定勲監督は「気持ち悪いね~!」とホメてくれた
ただ、初めての映画作りだから周りの関係者の意見を聞き入れてしまい、実は振り切れてなかったんです。いや、周りのせいにしちゃいけないけど。お金を出資してくださるスーツ姿の方やいろんな方の意見で直しを入れるのは、自分のネタだけの時ではありえないですから。
「もっと振り切れてほしい」と初めて言われて、「ネタの時のようにもっと振り切ればよかった!」とマジで後悔しましたし、日本では「振り切れてる」と言われて得意になっていた鼻をへし折られました。
だから、映画を自分で撮ってリベンジしようと決意。夢というより、振り切れた映画を一本作らないと悔しくて。
事務所にいた後輩の父親が山形でいろんなことを手がけていて、山形国際ムービーフェスティバルに関わっていまして。最近、YouTubeで僕以外の芸人も出ているコント映像を作っていて「最初は90分の映画を撮るよりコントをオムニバスにして上映しよう」と考え、その後輩に「お父さんに映画祭に上映をお願いしてもらえない?」と尋ねたんです。
そしたらOKが出たのですが、驚いたことに山形国際ムービーフェスティバルの3日ある初日のトップが、コントを5本くらい集めた僕の30分のコントムービー。客席の僕の前の席に行定勲監督と清水崇監督さんらが座られていて。
しかも、その日の上映は僕のその「永野CHANNEL THE MOVIE」と、のちにアメリカのアカデミー賞候補になる「ドライブ・マイ・カー」と東出昌大さん、唐田えりかさんの共演で話題になった「寝ても覚めても」の3本! とんでもない食い合わせ(笑)。最初のコントは笑いがあったけど、少しずつ笑いが減って……。
上映後に映画祭のオープニングセレモニーがあり、監督さんたちと僕が舞台袖で待機。「恥ずかしいなあ」と思っていたら、行定勲監督がニヤニヤして近づいてきて「気持ち悪いね~!」と。
「でも、アメリカにはいるけど、日本でこんな気持ち悪い笑いをやってるヤツいないから、追求した方がいいよ」と言ってくれたんです! 僕は「面白い」と言われるよりうれしかった。
作戦としてはまず短編を作り、次に長めの映画を作りたい。企画・脚本・監督で。その時は斎藤工くんに出てほしいですね。死ぬまでに「日本を代表する気持ち悪い笑いの映画」を作り、映画祭に出したい。どこに需要があるんだ?(笑)
(聞き手=松野大介)
▽本名=永野一樹 1974年9月、宮崎県出身。95年から芸人活動。「永野CHANNEL」配信中。