木下優樹菜の告白に支援者からも批判噴出「ADHDは免罪符や武器ではない」本人に届くか?
■ADHDを理解する上で求められるもの
「ADHDと診断された小学生の子が、新学期に持っていかないといけないものを忘れてしまった時に、担任の先生は頭ごなしに怒るのではなく『忘れたけど、じゃあどうするの?』と聞き、その子はしっかりと『忘れたことに対する対処』を言葉にしたことで、先生は特に怒らなかったと言います。大事なことは、忘れたことに対してどう対処していくのか、自分の苦手な部分をどう補い、生きていくのかを考えていくことなんです」
大半のADHDの人たちは「ADHDだからできない」と言い訳にしたり、「だから周りが許すべき」と免罪符のように言わず、「じゃあその上でどうするのか?」を考え、社会に順応する努力をしているだろう。そういう姿勢が、「ADHDを周りに理解してもらい、寄り添ってもらう為の言動」におのずとつながっていくのではないだろうか?
木下の今回のADHD告白は、そういったADHDの人たちの努力を踏みにじるように映ってしまったのかもしれない。