上皇さまと安倍元首相が「そりが合わない」といわれたのはなぜか
結局、小泉政権は皇室典範改正案の提出を断念した。そのあとに続いた第1次安倍政権はすぐさま報告書を白紙に戻した。上皇さまはストレスで体調を崩されたという。
のちに羽毛田長官が「ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめ、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮いただくというようなご様子を拝して参りました」と述べている。
2011年、民主党の野田佳彦政権になるとふたたび羽毛田長官が訴え、ようやく有識者会議を設置して「女性宮家の創設」を皇室典範に盛り込む案を取りまとめた。女性宮家を創設しても女性皇族が皇室に残るだけで皇位継承者が増えるわけではないのだが、ここでもまた、安倍氏らは「女性宮家創設は皇統断絶のアリの一穴」だとして猛烈に批判した。女性宮家ができれば、いずれ女性天皇を認めるようになるのではと恐れたのだろう。実際、女性宮家は羽毛田長官の案だといわれているから、その可能性はあったと考えられる。だとすれば、安倍氏や周辺はそのあたりを見抜いていたのかもしれない。
だが、上皇さまはふたたび落胆されたに違いない。