「男系男子」にこだわる安倍晋三氏ら守旧派の無理難題を天皇家だけに強要するのは酷
先の自民党総裁選で高市早苗候補(現・政調会長)が皇室継承問題について、「男系男子の維持」とともに「旧宮家の復活」を掲げたことで、「旧宮家って何?」となっている。
旧宮家というと、平安朝のようにみやびな宮廷の中で天皇のそばで仕える人たちを連想するが、江戸時代、天皇も宮家もそれほど優雅ではなかった。当時、天皇家は「禁裏十万石」といわれたが、実際は3万石ぐらいだったから、地方にある小大名ぐらいの収入だったはずである。
天皇は日常の食事も節約しなければならないほどつつましやかで、即位しても即位礼ができなかったこともあったという。
天皇の周りには親王家といわれる宮家が4家あったが、彼らも経済状況は天皇家と同じで苦しかったようだ。例えばそのひとつに伏見宮家がある。
600年ほど前の室町時代に天皇家から分かれた宮家で、戦後、皇籍離脱した11宮家は、血のつながりでいえば、すべてこの伏見宮の子孫である。
それはさておき、貧乏人の子だくさんではないが、江戸時代は宮家といえども子供がたくさん生まれると経済的に困窮した。天皇家も宮家も、子供が増えると姓を与えて降下させたり、得度させて、寺院の門主にさせることが多かった。