上皇さまと安倍元首相が「そりが合わない」といわれたのはなぜか
奈良市の近鉄大和西大寺駅前で安倍晋三元首相が凶弾の犠牲となった。それから2週間後、賛否両論のなかで吉田茂氏以来戦後2例目となる国葬が9月27日に行われることが決まった。近年の政治家ではもっとも力があるといわれたが、それは別として、皇室との関係でいえば、上皇さまとはそりが合わない政治家といわれた。皇室の未来が今もすっきりとしないのは、そのあたりに原因があるのではともいわれている。
上皇さまと安倍元首相のそりが合わなくなったのはいつ頃のことだろう。
■小泉政権時代から始まる「女系天皇」めぐる対立
今から20年も前のことだ。皇太子家からようやくご出産の喜びが聞こえたものの、愛子さまという内親王だったことはある意味で衝撃だった。このままだと皇位継承者が途絶える。強い危機感を深めた羽毛田信吾宮内庁長官が、当時の小泉純一郎首相に現状を訴えたといわれるが、おそらく天皇であった上皇さまのご意向だろう。
これを受けた小泉首相は「皇室典範に関する有識者会議」を設けた。その結果、長子優先にして、女性天皇・女系天皇を容認するという報告書が提出された。当時の官房長官だった安倍氏は「男系の伝統を変えるのはいかがなものか」と大反対したが、小泉首相は粛々と皇室典範改正案の作業をすすめていった。ところが、そんなさなかの2006年に、秋篠宮妃紀子さまのご懐妊が明らかになったのである。記者会見で安倍氏は、「このまま法制化をすすめる」と書かれていた官僚のメモを無視し、「改正論議は凍結する」と発表したのである。それを知った天皇、いまの上皇さまは落胆を隠しきれなかっただろう。