“大衆演劇のドン”沢竜二さん 役者生活83年「何としても『無法松の一生』再映画化はやりたい」
沢竜二さん(大衆演劇のドン/87歳)
全国に約170劇団あるという大衆演劇。それまでは「ドサ芝居」と言われ、一段低い芸能と見られてきた大衆演劇をショーアップし、1988年からは全国の主立った座長を集めて「全国座長大会」を仕掛け、大衆芝居のイメージアップをはかり、“大衆演劇のドン”といわれるのが沢竜二さんだ。沢さんは今どうしているのか。
■恒例の全国座長大会は今年で35年目
「さすがにコロナ禍にはまいりました。常設の劇場のほかに、各地の温泉センターや健康ランド、市民ホールなどが我々の芝居の場所だったのが、コロナのために閑古鳥。私も87歳。下手に歩き回って、お客さんや仲間に感染させちゃいけないと思って、ずっと家で自粛生活を送ってきました。それが裏目に出たんでしょうね。運動不足がたたって、すっかり体力が落ちてしまいまして。今年は恒例の座長大会も35年目という区切りのいい年なのに、体の方が思うように利かなくてね。でも、来てくださるお客さんのためには、ここで踏ん張らなきゃと思っています」
自宅マンションの一室でお会いした沢さん、まずはこう言った。
「悪い話ばかりじゃなく、いい話もありましてね。沢一門で長年、座長を務めた三天屋多嘉雄が撮った映画がカンヌの世界映画祭で2部門受賞したんですよ。私も出演しましたが、伝統芸能をテーマにした作品で、しかも“女澤正”と呼ばれた私の母から続く大衆演劇の神髄を描いているので、余計うれしかったですね」
沢さんは福岡生まれ。母は、大正期の大衆演劇の人気役者・澤田正二郎にちなみ、「女澤正」の異名をとり、九州でその名を知らない人はいなかったスターだ。母の後を継いで座長となったが、1964年に一座を解散して上京、船村徹氏に師事して歌手修業したが、鳴かず飛ばず。映画「男はつらいよ」の初代おいちゃん役で有名な俳優・森川信の知遇を得て俳優として活路を見いだし、その後、一座を再結成した。
「映画『ウエスト・サイド・ストーリー』のジョージ・チャキリスに憧れていまして、日本人にしかできないミュージカルがやりたかった。劇作家の福田善之さんに書いてもらった『夢の渡り鳥』という芝居が大ヒットしまして。これは森の石松や『大菩薩峠』の机竜之助が活躍するオムニバス式の芝居で、新宿の紀伊國屋ホールで暮れの恒例舞台として5年間、満員御礼を続けました」