ジャニーズ社名変更でも性加害問題は終わらない 北公次が告発本を出した35年前と時代は様変わり
ジャニーズの曲がトップ100から消えた
オリコン年間チャートを確認すると、88年にはベストテンに5曲も入っていた(光GENJIが4曲、男闘呼組が1曲)。しかし、90年のランクインはゼロになった。それどころか、最高位は光GENJI『荒野のメガロポリス』の39位だった。91年はトップ100に1曲もない。
「80年代後半からバンドブームもありました。89年に『ザ・ベストテン』、90年に『夜のヒットスタジオ』などの音楽番組が終わって、アイドルのテレビ出演が大幅に減ったことも大きな理由です。ただ、その条件は他のアイドルも同じです。しかし、工藤静香は曲を出せば1位になりましたし、中山美穂は主演ドラマの主題歌『愛してるっていわない!』(90年10月)『遠い街のどこかで…』(91年11月)が大ヒットしました。男性でも、ジャニーズではない織田裕二や吉田栄作は10代女子に人気があって曲も売れました」(前出の音楽関係者)
織田の『歌えなかったラヴ・ソング』(91年2月発売)は累計57.7万枚。その年、ジャニーズの最高は光GENJIの『風の中の少年』で累計16.3万枚だった。
「90年代前半は『アイドル冬の時代』というか、『ジャニーズ冬の時代』だったのです。90年デビューの忍者はブレイクできなかったですし、91年デビューのSMAPも最初は売れなかった。なぜジャニーズが避けられたのかと言うと、北公次さんの告発本が契機になっていると考えられます」(芸能関係者)
■性加害者のジャニー氏がいつの間にか『面白いおじさん』に
ジャニーズ事務所はこのまま力を失っていくかと思われた。しかし、93年秋にドラマ『あすなろ白書』で木村拓哉(50)が人気になり、94年にSMAPが初めてオリコン1位に輝く。96年には『SMAP×SMAP』が始まる。歌、ドラマ、バラエティと幅広いジャンルで高視聴率を獲得したことでメリー氏が圧力をかけてテレビ局を牛耳っていき、ジャニー氏の性加害問題は忘れ去られていった。
「北公次の告発は5年ほど効果が続いたと言えます。しかし、時とともに風化していった。90年代後半になると、ジャニーズのアイドルがテレビでジャニー氏のエピソードを喋るようになり、いつの間にか『面白いおじさん』のような扱いになっていった」(週刊誌記者)
企業がジャニーズタレントとの広告契約を打ち切るなど現在の風潮は厳しくなっている一方、テレビ局の大半はジャニーズのタレントを今後も使い続けると堂々と宣言している。
「ファンの多さを考えれば、いずれ再びジャニーズ事務所が幅を効かせる可能性はある。今のうちにテレビ局は芸能事務所のキャスティングに関する取り決めを作るなど、圧力や忖度が蔓延らないようなルール作りが必要になる。またタレントにもファンにも罪はないですが、世の中がジャニーズを支持しなくなれば、事務所は高圧的な態度を取れなくなる。90年代前半、メリー氏が強気に出られなかったのはタレントの人気がなかったから。ジャニーズのファンは、自分たちの支持が結果的にジャニー氏に性加害を続けさせてしまった面もあると知っておいて損はない。ファンのせいではありませんが、頭の片隅に置いといてもいいでしょう」(前出の週刊誌記者)