博多華丸・大吉の「舞台への思い」が凝縮されたコメントに涙…どんな売れても2人は自然体
「あさイチ」(NHK)ですっかり日本の「朝の顔」になった博多華丸・大吉くん。1990年に福岡事務所の1期生で吉本に入りましたが、福岡では人気者になってもなかなか地元を離れず、このまま「ローカル芸人」で過ごすのかなとも思っていましたが、2005年に満を持して上京。しかし、その時、すでに30代半ばということもあり、仕事は若手たちが優先して、オーディションを受けてもなかなか思うような結果を残せずにいました。
その時、転機が訪れます。
「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)の企画コーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」の6回大会のオーディションに初めて合格。それが後に華丸くんの代名詞にもなった「パネルクイズアタック25」(朝日放送、テレビ朝日系)司会の児玉清さんのモノマネでした。ここで見事に優勝。さらに第7回大会にも優勝し、番組史上初の連覇を果たして一躍名を馳せることになります。
このモノマネ、福岡の事務所でネタやイベント企画を考えていた時に生まれたそう。事務所で必ずテレビがついていて、「アタック25」の児玉清さんの動きを毎回見るともなく見ているうちに、細かいイントネーションや所作を覚えてしまい「アタックチャンス!」というおなじみのセリフの時にはいつのまにかアクションを交えて声を合わせて言っていて、それがいつしか華丸くんの持ちネタに。ですからあえて「児玉清さんのマネをしよう」としたのではなく“いつのまにか身についていた”のが真相のようです。