石原裕次郎(6)肉声スクープ求めあの手この手「ワイドショーの戦いは生き馬の目を抜くようだね」
1981年6月21日の朝、信濃町の慶応病院前は報道陣約200人で埋まった。本館屋上からパジャマ姿の裕次郎さんとまき子夫人、渡哲也さんが現れると(写真)、テレビ局のニュースヘリが爆音を上げて頭上に接近、そして本館左側の道路にはリポーターを乗せたクレーン車が裕次郎さんと同じ高さまで…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,037文字/全文1,177文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】