肺がん「ステージ4」歌手・山川豊さんが胸中吐露…「5年歌えれば、いや3年でもいい」
担当の先生からは「抗がん剤は延命治療です」と言われています。
今回、新曲を出すにあたってはどう発表するか相談しました。実は1月はがんであることは公表しましたが、手術はできないステージ4で、完治することはないことは言っていません。ステージ4となると仕事や番組がなくなったりする、病気しているわけだから仕事が来なくてもいい……。
悩んだけど、こういうことは嘘を言ってもしょうがない。言ったからといって恥ずかしい話でもない。ステージ4のがんと言えば、がんの人も別の病気で闘っている人も諦めてはいけないと励みになるのではないか。そう考えて公表することにしました。
3月ごろは生きて歌うことができるだろうかと思っていたから、まさか新曲を出せるとは思ってもいなかった。今は5年歌えれば、いや、3年でいいから歌い続けたいと思っています。担当の先生からは「抗がん剤は延命治療です」と言われています。3年持てば、生きていて、さらに歌えれば……これからはそんな気持ちでステージに立ち続けます。
がんになったこのタイミングで「兄貴」という曲になったのはたまたまです。鳥羽一郎の代表曲は「兄弟船」です。それを意識した売名行為みたいだと言われるかもしれませんが、この曲は8年前に前の事務所にいた時代にできていて、いつか出したいと思っていましたから。兄貴には最初に聴いてもらいました。神妙な顔をしていましたね。いつか出したいと温めていた曲が出せてよかった。最悪を考えて、ひょっとしたら、これが最後の曲になるかもというくらいの気持ちでやっています。
年内には10公演あります。兄貴もいるし、兄貴の息子で甥の木村徹二も昨年、レコード大賞の新人賞を受賞して、来年の土日のスケジュールが埋まるくらい頑張っています。兄の竜蔵とはデュオで「竜徹日記」もやっている。大石まどかちゃんや石原詢子ちゃんにも助けてもらったりして、もし僕に何かあっても大丈夫なように準備しているので、歌ってくださいと言われています。2年前に兄貴と同じ日本クラウンにレコード会社を移籍して、どこまでも迷惑をかけることになったのは申し訳ないけど、みんなにフォローしてもらえるのはありがたいですね。
■副作用?で唾液も痰もしょっぱい
副作用はあります。発疹がすごい。2カ月くらいはひどかった。にきびみたいな発疹が体中びっしり、足もお尻も真っ赤になりました。少しでも熱いお風呂に入るとピリピリして痛いし、お尻はずっと座っているからなかなか治らない。風呂上がりに薬を塗るけど、女房とは2年前に離婚して一人でやらなきゃいけないから大変。テレビに出る時は普通、パフを塗って消すけど、面倒なので塗らないで出たら、後から電話がかかってきて、手が赤くなっていると指摘されました。
他の人と違う副作用もあります。唾液とか痰がみな塩、しょっぱいんです。喉に下りてくるものが全部。先生も初めてだったみたいで、あまり聞いたことがないと言って上を向いていました。味覚障害の一種かなと。
食事も大切ですね。娘が「ママに頼んだ方がいいよ」と言うので、お願いしています。病院にもついてきてくれたしね。鍵を渡していて、例えば、ブロッコリーとか、栄養があるスープを作って持ってきて、いない時は冷蔵庫に入れておいてくれたり。食べ物はあれはダメ、これはダメとあまり神経質にならない方がいい。食べたいものは我慢せずに食べる。その方が免疫がつきます。
あとは気持ちの問題です。腹をくくること。諦めて言ってるわけじゃなくて、いずれ人間は旅立つ時がやってくるわけだから、まだ大丈夫、今年も大丈夫と前を向くしかない。転移したからといって、ビックリしているようじゃダメです。「それじゃ、先生、どうすればいいのよ?」と積極的に話をするくらいでちょうどいいんです。それから笑うことも絶対に大切です。
兄貴の知り合いの桑野信義さんは大腸がんになりました。電話する機会があって、抗がん剤の話を聞くことができて参考になりました。船戸崇史さんという外科医でがんになった先生が書いた体験談の本「がんが消えていく生き方」にも助けられた。人間は遅かれ早かれ旅立っていく。だから何も怖くないと書いてあった。あの言葉で吹っ切れました。
去年、出したのが「人生苦労坂」です。今の僕にはぴったりで何度も何度も聴きました。「弱音吐いたら」というフレーズを歌っていると、しみじみとします。
(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)
◇新曲 10月2日「兄貴」リリース
◇コンサート 10月8日「練馬歌の祭典」(練馬文化センター)、同19日「山川バースデイディナーショー」(大手町・俺のフレンチ)、同27日「山川豊・木村徹二コンサート」(前橋マーキュリー)、11月5日「令和・歌の祭典2024」(八王子オリンパスホール=現J:COMホール八王子)他