大阪・北新地で暴行事件に巻き込まれたジェリー藤尾
■1973年4月
4月12日未明、ジェリー藤尾(当時32)が友人の会社経営者T氏やホステスの女性と大阪・北新地の繁華街を歩いている時だった。
すぐ横を千鳥足で歩いていた50代とおぼしき男性が後ろから来た乗用車と接触し転倒。さらにその弾みで通りすがりの女性も倒れた。女性はすぐ立ち上がったが、男性は酔っぱらっているせいもあって腰を抜かしたまま立てない。
ドライバーは車の中からその様子を見ていたが、降りてこようとしない。頭に血が上ったジェリーは「とにかく降りてきて謝んなさい」と怒鳴りつけた。そのまま走りだそうとするそぶりを見せたので、ジェリーは車の中に手を突っこみ、キーを抜いてしまった。
渋々といった感じでドライバーと助手席の男が降りてきた。年はどちらも30歳前後でカーディガンを羽織った普通の勤め人風。暴力団関係にはとても見えなかった。ところが、少し気を抜いたジェリーに2人はいきなり殴りかかってきた。
上海でNHKアナウンサーの藤尾薫宏と英国人の母の間に生まれたジェリーは当時、芸能界ケンカ番付をつけたら1、2位を争うとウワサされていた。戦後、日本に引き揚げると日本語のできない母はストレスがたまりアルコールに走り、ジェリーが中学1年の時、吐血し、そのまま帰らぬ人となった。それを境にグレ始めたジェリーは新宿でケンカを繰り返し、高校に上がるころには愚連隊の用心棒を務めるようになっていた。