キャンピングカーに寝泊まり 日曜の朝からテレビ局に営業
「あのころはいまよりはるかにカラーコピーの値段がバカ高かったですからね。野田さん、経費切り詰めてやってたんですよ」
懐かしそうにターザン八木が回想する。
「日曜日は営業の人たちがいないので、僕らだけですから静かなんですよ。大量のコピーやってたら目が覚めますよ。コピー終わったら野田さん、それ抱えてテレビ局回りですよ。朝から、休まず」
八木が感心したことがある。
「うちの会社近くの山手通りにいつもキャンピングカーが止まってるんですよ。のぞいてみたらなんと野田さん(笑い)。キャンピングカーで寝泊まりしてたんです」
盟友村西とおるの寝場所がダイヤモンド映像社屋なら、野田義治はキャンピングカーだった。仕事と心中しかねない男たち!
朝昼晩、ダイヤモンド映像の男たちは寝食を共にしていた。
広報のパンチ藤原(髪がきついパーマのようだったので、親しみを込めて日比野・八木はそう呼んだ)が作る食事をみんなで食べるのだ。