宍戸錠さんが語った「性との戦い」初体験と1日30人コース
1933年大阪で生まれ、事業で大成功した父親に連れられて東京へ。大邸宅のお坊ちゃんだったが、東京大空襲ですべて焼失してしまう。銀幕デビューのきっかけは日大芸術学部在学中にオーディションを受け、日活ニューフェイス第1期生になったこと。そして小林旭の「渡り鳥」「流れ者」シリーズ、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖」シリーズでの敵役で名を馳せた。二枚目から悪役への転向のため、頬に液状シリコーン(オルガノーゲン)を埋め込む手術を受けたエピソードはファンならずとも今さらの話だろう。
娯楽の王様が映画からテレビに移ると、今度はブラウン管に身を転じ「元祖どっきりカメラ」の司会や「ゲバゲバ90分」などバラエティー番組でも存在感を見せ、お茶の間にも親しまれた。
晩年は破天荒だった黄金期とは違い、不幸や孤独が伝えられた。2010年、元女優でエッセイストの妻・游子さんに先立たれ、13年には東京都世田谷区内の自宅が全焼。3人の子どもたちとの関係も必ずしも良好ではなく、最期はひとり息を引き取り、倒れているところを発見される孤独死であった。享年86。
昨年末の梅宮辰夫さんに続き、昭和の銀幕スターがまたひとり、この世を去った。