<45>ドン・ファンはポーランド女性に興味津々「共産圏でも娼婦がいたんですか?」
当時の東欧はどこも共産主義政権で、日本人はこれらの国々のビザ取得が複雑なためになかなか行けなかった。しかし、私は同じ共産圏の大学生という身分のためにビザも要らず、比較的自由に東欧を回ることができたのはラッキーだった。
ちなみに、この当時に共産圏にいた東洋人はモンゴル、ベトナム、北朝鮮、ラオスなどに限られ、中国人や韓国人は皆無だった。欧州に「黄禍論」が巻き上がっていて中国は恐ろしい国とされていた時期だったのだ。当然のことながら日本人も少なく、ハンガリー国内に暮らしていた日本人は100人もいなかった。居住している日本人は大使館に登録し、年に1、2度は会で集まるので顔馴染みだった。
現在では数千人もの日本人がハンガリーで暮らしているというから隔世の感がある。その多くは音楽関係の学生であり、お隣のウィーンよりも数が多いと聞く。
ルーマニアのトランシルバニア地方のホテルのレストランでは、後ろの席からハンガリー語が聞こえてきたので話しかけると、歓待してくれて酒を散々おごられたこともある。この地域は第2次大戦後にルーマニア領になったのでハンガリー人が多く暮らしているからだ。ポーランドのチェコスロバキアとの国境近くの観光地ザコパネのホテルでは、一晩中ハンガリーからの旅行者と飲み明かしたこともあった。