岡口基一元判事に聞く SNS投稿という「私的な表現行為」で突然「罷免」の舞台裏と懸念
■裁判所当局からマスコミに対してネガティブな情報がどんどんリークされていった
──つまり、もともとは東京高裁が内規に反して公表したというミスから始まったわけですが、今に至るまで何らかの説明はありましたか。
私に対してですか?当局から?いや、全くありません。ただその後、私はこれが内規に照らすと公開してはならない判決であったことを、自分で調べて知りました。裁判所当局は、自分たちがミスをしたにもかかわらず、世間の批判を私に向けようとしたのだと思います。そして、その当局の作戦は完全に成功し、今に至っても今回の件での裁判所のミスは全く批判されないままです。
──とはいえ、結果的に遺族の感情を激しく傷つけたのは事実です。なぜ、早々に遺族に謝罪するなど対応の場を作らなかったのですか。
私はそう思っていましたが、裁判所当局が「岡口さんは対応しなくていい、自分たちが対応するので任せてほしい」「遺族や代理人と接触しないでください」と言っていたので、対応を任せていました。そうしたら、私が何もできないことをいいことに、裁判所当局からマスコミに対して(自分の)ネガティブな情報がどんどんリークされていったのが実態です。
──岡口さんは昨年7月に3度目の任官申請を行わないと最高裁に通知しています。2024年2月の民事裁判では遺族に謝罪し、遺族側に44万円の支払い命令が確定するなど社会的な制裁も受けています。弾劾裁判所が罷免判決を出さなくても、今年4月12日に裁判官を退官する予定だったのに、なぜ罷免となったのでしょうか。
退官予定だとか、そういうことは、罷免事由である「著しい非行」に当たるか否かの判断に直接関係することではありませんから、それが考慮されなかったとしても、そのことになにか問題があるわけではありません。問題は、それ以前のことで、そもそも、どうして罷免になるのかという理由が「誰かが結果的に傷ついたから」の一本やりで、専門家が誰一人賛同もできないようなお粗末なものであったことです。
──そもそも岡口さんのSNS投稿という「私的な表現行為」がなぜ今回、注目されて問題視されたのだと思いますか。
最高裁は一時期、ほんの少しの期間だったと思いますが、裁判所職員がSNSをやることを歓迎していた時期がありました。しかし、しばらくすると排除、規制に動いた。SNS投稿をしている職員らを1人ずつ調査官室などに呼び出し、止めるよう呼びかけたのです。
私は目立っていたというのか、X(旧ツイッターの)フォロワー数が増えすぎたのかもしれません。最高裁も「放置しておくと組織として示しがつかない」と考えたのでしょう。しかし、裁判官にも市民的自由や表現の自由がありますから、(SNS投稿を)「止めなさい」とは言わない。最初に所長室に呼ばれたのは水戸地裁だったのですが、自分がツイートした内容が全部、プリントアウトされていました。
A4版の紙で相当な分量だったと思います。マーキングして付箋が張られた部分を見せながら「これはどういう意味ですか」と聞いてくる。決して「止めろ」と言わず、「君の投稿については、こちらとしても、さらに時間をかけて検討していきたい」とか言うわけです。そうやって、プレッシャーをかけて止めるよう仕向けるのですが、私は投稿を止めませんでした。
──それで問題児扱いされてしまった。
私に限らず、ネットでの情報発信をしている裁判所職員は、当局に呼ばれてネチネチやられていました。そのことは(三重県・津地裁の)竹内浩史裁判官が書かれた「裁判官の良心とは何か」(LABO)にも出てきます。
■SNS投稿という「私的な表現行為」に対する社会のコンセンサス、ルールがない
──裁判所当局のプレッシャーなどがあったにもかかわらず、なぜ、SNS投稿を続けたのでしょうか。上半身裸の写真も話題となりましたが。
そもそも私は裁判官と名乗らずに「一般人」「私人」としてSNS投稿をしていました。そうしなければ「24時間裁判官」になってしまう。総理大臣が靖国神社に真榊などを奉納する際、「私人として」というのと同じでしょうか。裁判官であっても、他の方と同じようにSNSが利用できて当然です。そのため「一般人」としての立場で、自分なりのルールを作って投稿していたわけです。
──その正体が明るみになり、クローズアップされて変な方向に動いていった。
私から見るとそうです。裁判官と名乗って匿名でSNSをされている方がいまでも複数いますが、私はその真逆で、裁判官とは名乗らずに実名でSNSをしていたのです。しかし、マスコミは裁判官がこんな投稿をしていると大騒ぎを始めたのです。
──SNS投稿という「私的な表現行為」の扱いについては一人の法律専門家として、どんな見解を持っていますか。
世の中全体で言うと、コンセンスが出来ていないのだと思います。SNS投稿に対して、社会として、どこまでを良しとして、どこまでダメにするかというルールが確立されていない。ある意味、過渡期なのでしょう。裁判所の判決も、SNSによる名誉棄損や侮辱という判断が裁判官によって本当にバラバラで、裁判官次第みたいな状況になっています。なので、SNSを利用している人たちは、社会のルールがないから、みんな自分なりのルールを作って投稿している。(問題視されて裁判になった場合は)自分に有利な判断を下す裁判官だったらラッキーというような状況だと思います。
──SNS投稿に対するルールがなく、コンセンサスもないため、裁判で重要な「理由」も「検証」も出来ないような判決が出る恐れがある。
ルールがないので、裁判官としても「私は問題だと思います」「私は問題ないと思います」といった程度の「理由」しか書けず、それが正しいかの「検証」もできません。
──刑事判決に関する投稿についてのルールがないことについてはどう思いますか。
刑事事件の判決がされた場合、それについてSNSでどの程度の議論は許されるのか。どんなに真面目な議論、投稿であっても、遺族感情を傷つけることはあるわけです。議論をするという社会的な利益と遺族感情とのバランスをどう考え、どちらを優先して考慮するべきなのか。私の事件は、そういう議論を始める契機にもなり得たのですが、この国では、諸外国と違って、そういう議論を前に進めようとする動きがなかなか出てこないのは残念です。