吉田茂は「日本の指導者は武力制圧を考えて行動」と謝罪
![1951(昭和26)年9月7日夜、各国演説の最後の49番目に登壇し、対日講和条約の受諾演説をする吉田茂首席全権(中央)。議長はアチソン米国務長官。背景の参加国の旗はこの時点で51本で、日章旗は翌8日午前の講和条約調印式で初めて右端に掲揚された(C)共同通信社](https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/266/002/70c3a114825e4d284d391aa926377d4f20191210131112655_262_262.jpg)
講和会議は、アメリカのトルーマン大統領の挨拶から始まった。「今こそ憎しみは捨てよう。これからは勝者も敗者もない。平和への協力者があるのみ」という内容であった。講和条約の提案国としてアメリカ、イギリスがそれぞれ条約の説明を行った。こうした議事の進行はアメリカを中心に事前に調整が行…
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