8月10日未明 ポツダム宣言受諾をめぐる御前会議は3対3に

昭和20年8月6日と9日の広島、長崎への原爆投下、そしてソ連の参戦。日本はこれ以上、戦争を続けるのは到底無理であった。軍部の強硬派グループが本土決戦を主張したにしても、それは特に根拠があるわけではなかった。天皇は広島への原爆投下について、すぐには知らされていなかった。6日の夜、…
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