「見えざる3月事件」がその後の全ての事件の元凶となった
この3月事件は軍内の反対派によってつぶれたが、宇垣陸相、小磯軍務局長らの首脳陣が軍主導の国家改造を行うという空気を生んだ。最後まで決行を主張したのは民間側で実働部隊を動かすはずの大川周明と清水行之助であった。彼らが最終的に断念したのは侯爵の徳川義親の説得によった。その徳川に説得…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り930文字/全文1,070文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】