母親の浩と慧生は周恩来の計らいで北京で暮らすはずだった

昭和32(1957)年12月といえば、太平洋戦争が終わって12年が過ぎている。戦争の傷跡は少しずつ薄れていた。とはいえ満州国皇帝溥儀の姪である愛新覚羅慧生の同級生との心中事件は、世間を驚かせた。当時の新聞報道によれば、戦前の社会的立場の相違が2人の結婚を妨げることになったとも書…
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