真珠湾攻撃の翌日から始まった東條英機の「言論弾圧」は軍内で評判が良かった

太平洋戦争の開戦時に、内相が東條英機だったことは極めて重い意味があった。首相、陸相に加えて内相にもなっていたのである。
日本にはそれほど人材が枯渇していたのかとの疑問さえ湧くが、内相も兼務していることで、開戦を前提とした内閣と言われても仕方がないとの感も湧いてくる。開戦…
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