各新聞のこの体たらく、果たして「彼等、社会の木鐸なるか」と鋭く批判

平民新聞は明治中期の日本社会をかなり正確に伝えている。改めて個々の報道内容を見ていく限り、日本の知識人は意外なほど幅広い知識を求めていて、外国の文献なども意欲的に読んでいたことが明らかになる。逆に平民新聞には毎号英文のページが1ページほどあり、海外にも送っていたため国際社会でも…
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