民主主義志向の官僚と“無自覚の社会民主主義者”田中角栄

旧内務省の地方局畑育ちの官僚は、警保局育ちの官僚よりもはるかに民主主義的な志向が強かった。田中角栄の派閥にはそういうタイプの官僚が集まっていた。いわゆるハト派タイプも少なくなかった。逆に警保局育ちの官僚は、例えば自民党の中でもタカ派の言動が目立つ時があった。
田中の熱狂…
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