後にやるのが「付け足し感」なら前にやるのはナンだ?
2020年の東京オリンピックとパラリンピックについて、自民党の野田総務会長が「ソチを見たが、パラリンピックはやっぱり付け足し感がある。オリンピックの前に開催すべきではないか」と発言した。
なんだこりゃ? パラリンピックを「付け足し感」ではなくて「付け足し」だと思っているのをボカしただけではないのか。
平たく「付け足し……」と言うときついから、とっさに「付け足し、……みたいな~?」と言いたかったが、「みたいな~?」ではガキと同じであるし、この際「付け足し感」?
国民の総意を形成して(これをわざと横文字でコンセンサスを得て、などと常套(じようとう)句にした政治屋に限ってコンセンサスとコンセントの違いも分からぬバカが大多数だったりするのだが)政治家らしく表明すれば、
「いわゆるパラリンピックにおけるレゾンデートル(存在価値)がオリンピックのそれに比して、ややもすれば内向きな要素を内包しておるのではないか、という危惧を持たざるを得ない」
などと意味不明な政治用語を並べ立てるよりはいいが、いまいち政治家が信じられないのは弱者への無神経な言葉の選び方。