DeNA中畑監督が“敵視”する中日・落合GMとの長い確執
労働組合日本プロ野球選手会が発足したのは1985年11月。都労委から正式に労働組合として認定された。初代会長は巨人・中畑清(現DeNA監督)。反対を表明する球団もあり、労組結成には風当たりも強かった。
中畑会長が目指したのは12球団全選手の加入。とくにトップ選手は影響力が大きいだけになおさらだった。
そんな中、入会拒否というか、無関心だったのが中日・落合博満(現中日GM)だった。中畑と落合は同学年。中畑会長は落合を必死に口説いたが、返事はこんなものだったという。
「選手は個人事業主。自分の力でカネを稼げばいい」
バット1本で3度の三冠王になった、いかにも“オレ流”らしい考え方だ。中畑会長は引き下がらざるを得なかった。
■真っ先にFA宣言
それから8年後の1993年のオフ、選手会は球団経営側との長い戦いの末、ようやくFA制度という移籍の自由を勝ち取る。すると皮肉にも、すぐさま手を挙げてテレビで堂々とFA宣言、巨人に移籍したのが落合だった。いいとこ取りの落合に中畑(当時巨人打撃コーチ)の胸中は想像に難くない。