<第10回>転職した父・徹氏を待ち受けていた壮絶な労働条件…長男には野球をさせてやれなかった
往復3時間かかるうえに、残業付きの昼夜完全2交代制――。徹はこの勤務を約2年半続けた。
加代子も働きながら家計を助けた。実家の母親に頼んで長男・龍太の面倒をみてもらい、「暮れの1カ月間だけアルバイトをしたり、ちょこちょこと(仕事は)していました。教育費もかかりますし」(加代子)。
転職から3年目、徹が30歳になる92年、第2子の結香(22)が生まれた。
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そして翌93年7月、一家はそろって岩手県奥州市水沢に引っ越すことになる。
徹の実家は奥州市の北隣にある北上市。「2世帯住宅を建てて暮らすとか、近くに住むことも考えた」(徹)ものの、岩手工場の付近に一軒家タイプの社宅が点在していた。そのとき、たまたま抽選で当たったのが北上ではなく、水沢の社宅だった。
「一戸建てといっても平屋の6畳、6畳、6畳にキッチンがあるくらいのところでした。翔平が生まれて家族が5人になってからは、和室に5人分の布団を並べて、がーっと寝る感じでした」と、加代子は振り返る。