松井秀喜は「へへへ」と笑うだけでした
まったく、松井はもう……。またかよ。
そう言いながら、ミーティングが始められるように机と椅子を元に戻すのが僕ら先輩。こんなことが許される後輩は松井だけでしょう。
選手の中にも、当時から松井に関しては「特別な人間」という意識がありました。入団が決まったときから巨人の4番、日本の4番になることが義務付けられ、長嶋監督と二人三脚でプロ野球の頂を目指すという過程には、チームの仲間ですら立ち入ることのできない雰囲気が最初からありました。巨人時代、松井はナインと親しく付き合うタイプの人間ではありませんでした。普段は明るいし、社交的でしたが、最後の最後で本音が見えない、見せない感じ。それでもチーム内で浮いた存在にならなかったのは圧倒的な実力と、それを支える人一倍の努力をしていたからです。
そんな松井を目の当たりにしたのは、日本一になった94年の豪州V旅行でした。
(つづく)
▽もとき・だいすけ 1971年12月30日生まれの43歳。大阪府出身。上宮高時代に甲子園に3度出場し、歴代2位タイの通算6本塁打を放つ。89年のドラフト1位でダイエーに指名されるも、入団を拒否してハワイに野球留学。翌90年ドラフトで巨人から1位指名を受けて入団。長嶋監督が「クセ者」と呼んだ野球センスを武器に一時代を築いた。05年オフに引退し、現在はタレントとしても活躍する。通算成績は1205試合に出場して打率.262、66本塁打、378打点。