横浜での恩師・大矢明彦氏が語る中日・谷繁の“修業時代”
中日の谷繁監督兼選手(44)が28日の阪神戦で史上最多となる3018試合出場を果たし、野村克也氏を抜いて、プロ野球記録を更新した。谷繁を横浜時代に監督、コーチとして指導した大矢明彦氏(67)が当時を振り返る。
3000試合出場がかかった今年4月末の試合前、「先発マスクをかぶってくれよ」と声をかけると、「(送球が)ようやく二塁へ届くようになりました」との言葉が返ってきた。右肩の状態がずっと良くなかったようだ。ただでさえ、捕手は激務。しかも昨年から兼任監督という重責を背負った。今年で44歳。ここまで本当によくやったと思う。十分すぎます。
僕なんて、30代後半で両膝に水がたまり、医者からこれ以上やったら50歳で歩けなくなりますよと言われて、(38歳で)引退したからね。
谷繁が長生きできたポイントは佐々木主浩(現評論家)のワンバウンドのフォークを捕れるようになったことに加えて、31歳で中日に移籍したことだろう。レベルの高い投手が揃っていた中日に移り、捕手としての勉強ができるようになった。