横浜での恩師・大矢明彦氏が語る中日・谷繁の“修業時代”
■常に古田と比較された
僕が横浜で指導していた時は、ヤクルトの古田敦也(現評論家)が絶頂期。谷繁は常に古田と比べられた。つらかった部分もあったと思う。
でも、古田は古田、谷繁は谷繁。彼の持っているものをどう伸ばすか。古田の真似だけはさせませんでした。捕手の基本を覚えさせ、後は彼自身の味付けを加えた。初めは佐々木のフォークを捕れなくて、ワンバンを捕球する練習を何度も何度もやった。よく怒り、叱ったけど、彼はそれでも自発的に「お願いします」と食らいついてきた。本当にタフでした。
彼は毎年、シーズン開幕のときに電話をくれるんです。今年は「ごめんな。中日を最下位に予想した」と言ったら、「最下位ですか?」と大笑いしていた。もちろん、このまま終わるつもりはないでしょう。
監督の立場で気になるのは、捕手谷繁の後継者をつくること。そのためには、谷繁は試合に出ない方がいい。谷繁がマスクをかぶっている間は、育成はできない。捕手は経験が必要ですから。本来はチームのことだけを考え、まとめていくのが監督の仕事。谷繁も早く安心して任せられる後継者が出てきてほしいと思っているはずです。