「辞めろ投書今も」 中京大中京・高橋監督が語る名門校の重圧
5年ぶりに夏の甲子園にやってきた中京大中京(愛知)。09年夏に全国制覇、春夏通じて4季連続甲子園に導いていた大藤敏行前監督(現総監督)が、10年夏の甲子園を最後に退任。当時30歳だった高橋源一郎監督(35)が後任に就任するも、4年間甲子園から遠ざかっていた。今回が監督として初の甲子園出場だ。野球名門校で指揮を執るプレッシャーはハンパじゃないといわれる。青年監督に、その苦悩を聞いた。
――30歳で強豪校の監督に就任。プレッシャーはありましたか。
「重圧というよりは、慣れないことばかりでたくさん失敗をしましたよ。僕は監督就任前の1年間、大藤監督の下でコーチをしていましたが、見るとやるとでは大違い。若さゆえに無知なことも多く、周囲の誤解を招いたり、気付かないところで迷惑をかけたこともありました」
――具体的にはどういうことですか。
「コーチは監督と選手だけを見ていればいい。でも、監督ともなると付き合う人も違ってくるわけで……。部員の指導でも、当初の僕は精神論が多かったんです(苦笑い)。でも、最近は小、中学校の指導者の方々も知識は豊富ですからね。そんな指導者たちに教わった子は、精神論ではついてこない。ただ『やれ!』というのではなく、選手個々の状態を見極めなきゃいけません。そうした基本的なことや指導法をOBや大藤総監督に教わりながら、何とかやってきました」