校長は再出発示唆も…PL野球部「復活ありえない」理由
高校野球史において、PL学園は強烈な存在感を放った。中でも83~85年に甲子園を沸かせた清原、桑田の「KKコンビ」は一世を風靡。野球ファン以外にもPLの名を知らしめた。プロ野球にあまたの人材を輩出し、校歌で「永遠の学園」と歌われる通り、その栄華は続くと誰もが思っていただろう。
それがなぜ、落日を迎えることになったのか。
前出の柳川氏が言う。
「さまざまな事情がありますが、一番大きいのは度重なる不祥事と、それが改善されない体質です。83年に公称265万人だった信者が、12年には94万人にまで減少。いまや名物の花火大会も縮小され、全国のPL教会の数も減っている。そうした教団運営の事情もあって、不祥事ばかりの野球部がやり玉に挙がった。黄金時代は信者からの浄財を野球部につぎ込んでチームを強化していましたが、それも7年ほど前からありません」
■全く無意味だった嘆願書
さらに教団を私物化しているといわれる3代目教祖夫人が、野球部を目のカタキに。かつてのPLなら内部で揉み消せたはずの不祥事を、関係者が積極的に明るみに出すようになった。