“10番の先輩”木村和司氏が香川に直言「もっとわがままに」
スーパーな選手は見当たらない
――14年ブラジルW杯は1次リーグ1分け2敗。惨敗に終わりました。あれから4年が経過し、日本代表は強くなりましたか?
チームワークは良くなった。でもスーパーな選手は見当たらないね。
――背番号10の後輩であるMF香川真司もメンバー入りしました。
香川はのぅ……。人が良いというか、イイ子過ぎるというか、もっとわがままに、もっと自分勝手にプレーすればいいのに、と思う。もっとワルにならないと。まぁワシもな、イイ子だったからな。ワルにはなり切れんかった(笑い)。
――いやぁ……そうだったんですか?
これでも周りに気を使うタイプだった。
――それでは……日本代表はブラジルW杯後の4年間で成長したのでしょうか?
浦和がアジアチャンピオンズリーグで優勝したし、クラブレベルでは間違いなくレベルアップしたと思う。でも日本代表となるとなかなか難しいものがある。ここ4年で<本田を超える存在が出てこなかった>ということは言えるだろう。
――10年南アW杯の前年の09年9月のオランダ戦。セットプレーの際に、本田がエースMF中村俊輔に近づいて「FKを蹴らせて下さい」と言いました。
あったな。そのときワシは「本田、10年早いわい」と思った(笑い)。
――南アW杯直前に岡田武史監督(当時)は本田を中心としたチームで勝負しました。
あれからもぅ8年も経ったんだな。本田が中村を脅かしたように本田にグウの音も言わせないような若い選手が、どんどん出てこないと。
――80年、90年代と比べると世界のサッカーの潮流は、どう変わったのでしょうか?
何よりも<守備>が変わった。今は前線からどんどんプレッシャーをかけていくし、ボールを奪う位置も、相手エリアの深いところに変わってきている。そしてボールを奪うと相手の守備陣形が整わないうちにショートカウンター。これが主流になっている。南アW杯で優勝したスペインみたいにボールをつないでつないで、そして相手エリアで試合を進めていくというやり方では、勝てなくなっていくのかな、と思う。とにかく<すべてが速く>なっている。あとセットプレーでのゴールが増えた。
――本田を超える選手がいない、という話でしたが、世界ではメッシとクリスティアーノ・ロナウドを超える選手が出てきません。
そりゃそうだ。ペレもクライフもそう。ベッケンバウアーもマラドーナもそう。彼らは何十年に一人の逸材だから。
■相手をバカにするプレーを
――今の日本サッカーに足りないものは、何だと思いますか?
ワシはな、とにかくサッカーが好きじゃったから、プレーに<遊び心>があったと思う。ちょっと言葉は悪いが、相手をバカにしたようなプレーをやろうと心掛けた。
――横浜F・マリノスの監督時代に「もっと(相手を)ちゃぶれ」という広島弁をよく聞きました。「相手をおちょくれ」「相手を翻弄しろ」という意味だと解釈しました。
もちろん最後は<勝つこと>が大事。本気になって勝利を目指した。でも、プレーに<遊び心>が大事というのは、今のサッカーにも言えるんじゃないかな。神戸にスペイン代表のMFイニエスタが入団した。彼がどんなプレーを見せてくれるか、楽しみにしとる。Jリーガー相手に遊んでくれたらええのぅ。
――ロシアW杯が終わると、次期代表監督選びが始まります。日本人監督の可能性もあります。
とにかく日本人選手の特性を伸ばしてくれる監督がええのぅ。代表クラスの選手はヤンチャなヤツが多い。そういった選手を“使いこなす”監督が出てこないと。
――木村和司、日本代表監督に就任! はいかがでしょうか?
いいね。そりゃ手っ取り早いね(笑い)。マリノスの監督、2年目(11年)が終わったところで辞めることになったが、3年目もやらせてもらって結果を出し、そして日本代表監督にワシが……なんて話になったかも知れん。何だか知らないけど邪魔するヤツがおったからのぅ。裁判でもするか?(笑い)
――危ない話になってしまいました。最後に日本サッカー人気について。やや陰りが見えている気がしますが……。
ロシアW杯予選を突破しながら、確かに日本代表の熱心なサポーターが減ったように感じることもあった。日本代表は結果が問われる。勝たないといけない。でも選手が楽しそうにプレーすることでサポーターもうれしくなるし、勝利を届けてくれると感動が生まれてくる。W杯本大会の開幕も近づいたし、ワシも含めて<日本代表を応援したい>という気持ちが、広がってきているように感じる。いろいろ言われているが、西野ジャパンにはぜひ頑張ってもらいたい。応援しとるよ。
(聞き手=森雅史・日本蹴球合同会社代表)
▽きむら・かずし 1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島県立広島工高から明治大。大学2年で日本代表初選出。81年に日産自動車(現横浜F・マリノス)入り。86年に日本人第1号プロ選手として契約。94年、ミスター・マリノスとして多くのサポーターに惜しまれながら現役引退。現役13年間233試合出場・51得点・61アシスト。日本代表Aマッチ54試合出場・26得点。01年にフットサル日本代表監督。10年から11年まで横浜F・マリノス監督。