入団は“コネ”だった…広島・新井貴浩の壮絶プロ人生20年
さらに山内氏は言う。
「当初は守備では全く動けなかったし、一塁守備の際に、アウトカウントを間違えてボールを一塁コーチにトスし、走者の生還を許したこともある。山本浩二監督時代の2003年には開幕から4番を任されるも、プレッシャーのあまり『4番を外して下さい』と首脳陣に直訴したこともあった。ただその裏では、当時ブルペン捕手だった水本勝己二軍監督と毎日欠かさず、早出特打をやっていた。水本さんは『阪神にFA移籍するまで続けていた』と言っています。決して自分に妥協することなく、血のにじむような努力をしていました」
新井がアニキと慕う金本知憲(現阪神監督)は、広島時代、新井がミスをするとよく怒ったという。
「おまえは誰に入れてもらった? 先輩の顔をつぶすようなことはするな」
08年に阪神にFA移籍してからは不遇をかこったこともある。前出の駒沢氏が言う。
「08年北京五輪で腰椎を骨折してから、背中と腰の張りや痛みと闘ってきた。今も完治はしていないと思います。自ら阪神を自由契約になった時には『僕はもう、阪神に必要とされてないんですよ』と話したことがありました。それが広島に復帰して、もう一度鍛え直した。『打撃は無限大です』と言っていたが、広島復帰後も打撃は進化した。下半身をうまく使って、逆方向へうまく打つようになりましたから」
20年の壮絶なプロ生活は間もなく終焉を迎える。