第1回W杯は3連敗したものの完敗だったとは思っていません
最終テストマッチ後に行われた「フェアウエルパーティー(遠征最後の晩餐会)」でした。フランス協会の会長が、記念品として雄鶏のモニュメントを全員に授与したのですが、僕の名前が呼ばれた瞬間に会場が拍手喝采に包まれたのです。記録に残らないワンシーンですが、僕にとっては最高の勲章であり、自分のプレーをフランス代表の全員が称えてくれたことは大きな自信となりました。
神戸製鋼時代に開催された1987年の第1回W杯には、ジャパンのキャプテンとして出場しました。結果としてはアメリカ、イングランド、オーストラリア相手に3連敗を喫してしまいましたが、世界との差を痛感するほどの完敗だったとは思っていません。
最大の敗因は、ゲームフィットネスの違いが挙げられるでしょう。
チームというのは、一定の期間を一緒に過ごして試合を重ねることで調子が上がるものですが、当時のジャパンにはその概念がなく、そもそも選手も社業で忙しくて、W杯前に長期合宿をすることもできませんでした。
今思えば、初戦のアメリカ戦にピークを合わせていたら3点差で負けることはなかったと思いますし、3試合目のオーストラリア戦の試合内容が最も良かった理由も、ゲームフィットネスが上がったからでした。