ラグビーで他者との関係性をうまく構築できるようになった
林 敏之(元日本代表・59歳)
1970年代後半から同志社大、神戸製鋼の花形選手として大人気のラグビー界のメインストリームを走り抜けた林氏。サッカーから転向した中学時代、日本代表に選ばれた高校時代を振り返る。
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■人見知りで仲間から浮いていた
小学生のときからサッカーをやっていた僕がラグビーに転向したのは、城西中学(徳島県)2年生の時です。当時、サッカー部ではレギュラーでしたが、実は人と話すのが得意ではなく、なかなか友だちをつくれない性格もあってか、チームの中で自分が浮いているように感じ、それが嫌でサッカー部を辞めたところ、ラグビー部から誘いを受けたのです。
最初の頃はルールもよく分かっていませんでしたが、バチーンと体を相手にぶつけるラグビーというスポーツに魅了されました。最初のポジションはスタンドオフ。でも、僕はボールを持ったらひたすら突進するタイプだったのでボールが回らず周囲から不興を買い、その後センター、ウイングと変わって、とうとう「おまえはFWをやれ」とFWになりました。