【特別寄稿】阿部の天才的な打撃は父東司さんの教えの賜物
すでに巨人の中心選手だったが、二つ返事で来てくれた。
フリー打撃をやってくれるだけで、いいお手本になるし、選手たちは大喜び。以降、オフになると毎年、バット、打撃用手袋、ウエア、プロテクター、レガーズといった用具類を大量に寄付してくれて随分助けられた。巨人でも07年から8年間、主将を務めた。性格は親分肌だが、こんな律義な一面もある。
■当初はヤクルト入りに傾いていた
この頃のプロ野球のドラフトには逆指名制度があった。早くから熱心だったのはヤクルト。担当スカウトが通い詰めていたそうだ。当時のヤクルトの正捕手は古田敦也が全盛期で君臨していた。慎之助が2、3年の頃、東司さんが「ヤクルトの古田さんの下で2、3年鍛えてもらって、それからレギュラーになれれば」と言った。私は「とんでもない。古田はコーチじゃない。バリバリの現役捕手が新人を指導するはずがない。それより狙い目なのは、正捕手の村田真一がベテランに差し掛かっている巨人の方だ」とアドバイスしたのを覚えている。