20年ぶりの幕尻V 徳勝龍を支えた肝っ玉母と美人妻を直撃
五月人形のような童顔力士が、泣きに泣いた。
前頭17枚目の徳勝龍(33)が、2000年3月場所の貴闘力以来となる20年ぶりの幕尻優勝を果たした。26日の千秋楽、対戦相手は大関貴景勝。すでに2横綱は休場しているため、残った番付最上位力士と幕内最下位力士が結びの一番で激突という極めてまれな一戦となった。
■大関破って男泣き
負ければ2敗の正代と優勝決定戦という一番。徳勝龍は貴景勝の突き押しをしのぐと得意の左四つになり、大関を寄り切った。大歓声の中、一瞬、笑顔を見せたものの、すぐさま顔をくしゃくしゃにして男泣き。人目をはばからず涙を流し続けた。
優勝インタビューでは、
「自分なんかが優勝していいんでしょうか?」
と言い、満員のファンをどっと沸かせた。
「自分が一番下なので怖いものはないと、思い切っていくだけだと思っていきました。優勝を意識? いや、意識することなく……ウソです。めっちゃ意識していました」
と、ちゃめっ気も見せた。
奈良県出身力士としても、1922年1月場所の鶴ケ浜以来となる優勝。これにも「大変なことをやってしまいました」と、ファンを笑わせた。
■勉強する暇がない
86年8月、奈良県生まれ。出生時は3860グラムで、わずか半年の間に10キロまで成長した。母の青木えみ子さん(56)は幼少期の徳勝龍について、こう話す。
「ワンパクでヤンチャ。体を動かすのが好きで、じっとしているのが苦手な子でした。ゲーム? ほとんどやらないし、やる暇もないですよ。毎日、習い事で忙しかったですから。柔道、相撲、野球の3つを掛け持ちですよ。全部、自分から『やりたい』と。3歳から柔道をやって、小学校2年で野球。それからわんぱく相撲とかを始めて、4年生から相撲道場に通い始めました」
少年野球では「4番・捕手」。三振かホームランかという打者だった。中学校では相撲部がなかったため、野球部に入部。ところが、生徒会副会長の仕事に加え、相撲道場が忙しくて練習にはなかなか参加できず、したがって試合にも出させてもらえなかった。これが面白くなく、野球部を退部した。
「生徒会ということは、勉強はできたか? する暇ないじゃないですか」とえみ子さんは大笑い。さらに「家に宿題とか教科書とか持って帰ってきたことがない」と続けたものだから、過去のやらかしを暴露された徳勝龍も大弱りだろう。
父の順次さん(73)は地元奈良市役所のパブリックビューイングで観戦。えみ子さんは当初、国技館に来る予定はなかったという。
「東京の本場所は3回応援に来ましたが、全部負けてるんです。今回も優勝なんて……と思ってましたからね。周囲が盛り上がっても、私は『優勝? ないない!』って(笑い)。今日来ると決めたのは昨日です」(えみ子さん)