名将・木内監督が逝く…仁志敏久氏が語っていた人間的魅力
名将が逝った。
茨城の取手二、常総学院を率いて春1度、夏2度の甲子園優勝を果たした木内幸男元監督が24日、肺がんのため取手市内の病院で亡くなった。89歳だった。
春夏合わせて甲子園に出場すること22回。歴代7位の通算40勝(19敗)を挙げた。大胆な選手起用、采配は「木内マジック」と呼ばれ、高校球界に一時代を築いた。
安藤統男元阪神監督、西武の松沼博久、雅之兄弟、島田直也現常総学院監督、日本ハムの金子誠コーチら多くのプロ野球選手も育てたが、中でも「親以上の存在。自分のすべて」と言うほど大きな影響を受けたのが、来季からDeNAの二軍監督就任が決まった仁志敏久氏(49)だ。
1987年の夏の甲子園。常総学院に入学したばかりの仁志氏は、15歳の1年生ながらチームの主軸に抜擢され、木内監督とともに準優勝旗を手にした。
プロ14年で確固たる実績を残してからも恩師への思いは衰えず、2011年には「わが心の木内野球」(ベースボール・マガジン社)を上梓。それも、「木内さんほど魅力がある人はそうはいない。この人のことを書き残し、世間に伝えないともったいない」という思いからだった。当時、木内監督の魅力をこう語っていた。