古田敦也が内角打ちの名人になった貪欲な「聞き取り力」
私はすぐに古田の独特な感性についていけなくなった。3年目に30本塁打をマークした年、こんなことを言っていたのだ。
「ボールの外側をポンと打てばボールは飛ぶんですよ」
30発の内訳は逆方向に放り込んだ当たりが多く、押し込む感覚を評した言葉のようだ。
私に「どう打てばいいんですか?」と聞いてきた古田は、いつしか「内角打ちの名人」といわれるようになっていた。捕手として史上2人目の2000安打をマークした頃には、落合さんが「一番内角打ちがうまい選手は古田」と認めたほどだ。
ただ、捕手としては「ID野球の申し子」として、四六時中、野村克也監督に怒られていた。試合前後のミーティングはもちろん、試合中も背後からずっとボヤかれる。時に人間性まで否定され、「秦さん、監督許せない」と涙ぐんでいたのは一度や二度ではない。
日本一になった翌94年、古田が5年目のオープン戦で一塁側ベンチ前のファウルフライに対し、ベンチを避けて捕れなかったことがある。すると、野村監督が激怒。監督室で正座をさせられ、2時間も説教されたそうだ。そんな“英才教育”を耐え忍び、球史に名を残す名捕手になっていった。