93年日本S第7戦 古田の“ギャンブルスタート”はサイン無視
読み通り、西武の守護神・潮崎哲也の内角スライダーに私の体が反応した。打球はライナーで右翼ポール際へ飛び込むサヨナラ本塁打となった。1992年の日本シリーズ第6戦のことだ。
西武圧倒的有利の下馬評を覆し、6試合で3勝3敗。そのうち3試合が延長戦にもつれ込むという接戦が続いた。迎えた最終第7戦。ヤクルトは1―1の七回裏1死満塁で、代打・杉浦享さんが一、二塁間にゴロを放った。左腕を伸ばして捕球した辻発彦二塁手が一回転してバックホーム。三塁走者の広沢克己(現・克実)のスタートが遅れ、本塁で憤死した。絶好の勝ち越しのチャンスを逃すと、延長十回に1点を失い、1―2で敗れた。
サヨナラ本塁打を打っても満足感はなかった。組織力、個人の能力、精神面の差を感じた敗戦でもあった。
3連覇を達成した西武は常勝球団で、日本一になるのが目的だ。一方のヤクルトはセ・リーグで優勝することを目標に戦っていた。メンタリティーの違い、日本一になるという思いが、最後の1点の差となったのだ。これはとてつもなく重く、大きい。神宮球場の一塁側ベンチで、森祇晶監督が宙を舞う姿を見ていると、リーグ優勝までかき消された気がして、涙が止まらなかった。