ヤクルトユマキャンプの珍騒動“国境越え”で監禁騒動に発展
■マウンドで投手の足をグリグリ踏んづけ……
打たれてピンチになると、関根監督がゆっくりとマウンドに向かってくる。そして投手に向かって「大丈夫か~? しっかり投げろよ~」とニコニコしながら、下では投手の足をグリグリ踏んづけている。強い口調では言わないし、一見、紳士的ではあるが、やることはかなりドギツかった。
中途半端が嫌いな監督で、「ブンブン丸」こと池山隆寛は本塁打と共に三振も多かったが、思い切って振った空振り三振は、とがめなかった。
私は関根監督2年目の88年に正捕手に抜擢された。池山の他に野手では、栗山英樹さん、広沢克己(現・克実)、荒井幸雄、笘篠賢治……。投手では高野光さん、内藤尚行、伊東昭光、荒木大輔らを我慢強く起用した。
関根政権の3年間は4、5、4位でいずれもBクラスだったが、この時育てられたメンバーの多くは、野村克也監督となる90年代に花を咲かせ、黄金時代を築く礎となった。いわば地ならしの役目を担った関根監督は後に「あの時は優勝できるとは思わなかったけど、優勝できるチームにするために、選手を育てなきゃいけないとは思っていた」と振り返っている。
私が入団した時の土橋正幸監督は江戸っ子気質で短気。みんな怯えながらプレーしていたが、さらに激情家だったのが、私が現役最終年に在籍したロッテの山本功児監督だ。