“五輪翼賛会”と化した大手紙の不甲斐なさ 国民は右往左往
信毎といえば、昭和8(1933)年に主筆の桐生悠々氏が「関東防空大演習を嗤ふ」という社説を書き、当時、関東一帯で行われていた防空訓練のバカバカしさを説いたことで有名だが、こういう至極真っ当な主張が大手紙でみられないことこそ、今の「大政翼賛会」ならぬ「五輪翼賛会」と化したメディア界を垣間見るようではないか。
信毎に続き、25日付の「西日本新聞」も社説で<東京五輪・パラ 理解得られぬなら中止を>と題し、<できるものなら、五輪を開催したい。鍛錬を重ねてきた選手たちの成果を見たい。支えてきた人たちの努力もたたえたい。しかし、多くの課題を積み残し、不安や疑問が解消されないまま開催を強行すれば、禍根を残すことになりかねない。><IOCのバッハ会長は、コロナ禍では「誰もが犠牲を払わないといけない」と述べた。国民に重い犠牲を強いてまで五輪は開催しなければならないのか、と私たちは問いたい。>と書いていた。
首相会見は「右へ倣え」で厳しい質問をせず、広報官から「再質問はダメ」とくぎを刺されれば唯々諾々と従う。全国メディア記者のそんな不甲斐ない姿勢が、日本政府や五輪組織委の判断を鈍らせ、国民やアスリートを右往左往させている一因ではないのか。