キューバ五輪予選敗退の必然 相次ぐ亡命と深刻な人材不足
キューバ革命を率い、その後も長く最高指導者として君臨したフィデル・カストロは幼少期から野球に親しみ、「ヤンキースからスカウトされた」という噂がまことしやかにささやかれるほどであった。
それだけに、野球がキューバの国技として奨励されたのも不思議ではなく、オリンピック3回優勝やIBAFワールドカップ25回優勝などの輝かしい戦歴に彩られた「野球強豪国・キューバ」が誕生したのであった。
しかし、2006年に体調を崩したカストロに代わり実弟のラウル・カストロが政権を担当すると、段階的に部分的な市場経済制度が導入され、野球を取り巻く環境が変化する。
従来の社会主義経済体制の下では、国家公務員として生活を保障されるなど、野球選手の経済的地位は高かった。
これに対し、限定的ながら経済の自由化が始まると国家公務員である野球選手は経済の発展から取り残される形となり、結果として有力な選手がよりよい待遇を求めて大リーグに亡命する事例が増加することになる。