大阪工大高(当時)野上友一監督 昭和天皇が崩御で幻となったラグビー決勝戦【後編】
キャプテンだった伊藤紀晶(フルバック)はその後、同志社大学から神戸製鋼に行って今は同志社大学のヘッドコーチをやっています。
元木由記雄は明治大学に行って神戸製鋼。ワールドカップには4回出場しました。それで今は京都産業大学のバックスのコーチを任されています。
ーーあれから33年。どう振り返りますか?
語弊があるかもしれませんし、失礼な話かもしれませんが、ものすごく貴重な体験をさせていただきました。当時、ラグビーをしていた人なら間違いなく覚えています。それに、今ラグビーをしている子でもラグビーの年表見て、「そんな年あったんや!!」ってびっくりします。決勝戦の中止という前例のないことだったからこそ、多くの人の記憶に残ったんだと思うんです。
それにもし、あのとき普通に優勝したり、茗渓学園に負けて準優勝だったりしたら、こんな風にOBの君(西牟田)が取材に来たりしてないでしょ?(おわり)