大阪工大高(当時)野上友一監督 昭和天皇が崩御で幻となったラグビー決勝戦【前編】
1989(昭和64)年1月7日、昭和天皇が崩御され、その日、行われる予定だったあらゆるイベントが中止となった。第68回全国高等学校ラグビーフットボール大会の決勝戦もそのひとつ。大阪工大高(2008年度から常翔学園)と茗渓学園(茨城)による決勝戦は開催されず、異例の二校同時優勝となった。
その当時、大阪工大高でヘッドコーチをしていた野上友一監督(63)が振り返る。
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1988年の10月から12月、世の中は自粛ムード一色だった。各地でお祭りが中止となったり、クリスマス商戦が控えられたり、各地で祝賀会や結婚披露宴が中止・延期となったりした。テレビからお笑い番組が消えたり、「皆さんお元気ですか?」というCMから音声が消えたりもした。そんな中、例年通りの年の瀬に高校ラグビーの全国大会が始まったのだった。
ーーその年はどんなチームだったんですか?
ひと言で言うとかなり強いチーム。フォワードは大きくてパワーがあった。バックスには元木由記雄(センター、2年)、キャプテンの伊藤紀晶(フルバック、3年)、エースの佐野浩司(スタンドオフ、3年)がいたりした。そういう素質のある選手が揃っていた年。十分に優勝を狙える実力があったし、実際、優勝を狙っていました。