大阪工大高(当時)野上友一監督 昭和天皇が崩御で幻となったラグビー決勝戦【後編】
1989(昭和64)年1月7日、昭和天皇の崩御に伴い、第68回全国高等学校ラグビーフットボール大会の決勝戦は中止。大阪工大高(08年から常翔学園)と茗渓学園(茨城)が、異例の二校同時優勝となった。その当時、大阪工大高でヘッドコーチをしていた野上友一監督(63)に崩御によって受けた影響とその後の顛末について聞いた。
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ーー天皇崩御の知らせを聞いた当日のことを聞かせて下さい。
午前11時ぐらいには宿舎の旅館くら本(なんばから1駅の日本橋)を出発する予定でした。ところが、その少し前の午前10時、宿舎に電話がかかってきたんです。
それを受けて、全員が食堂に集合し、荒川博司先生が皆に伝えました。
「今日の決勝戦はなくなった。試合はない、ということや。今から花園に行って、表彰式だけをやることになった」と。
政府からは「48時間は喪に服してほしい」という民間要請があったが、延期すれば試合は1月9日となる。それでは始業式と被ってしまうということで、緊急実行委員会が中止を決断したのだ。