「米国プロ野球史上初の女性監督」が注目される本当の理由
右翼から本塁への送球がそれ、一塁手の頭上を越える暴投となったものの、遊撃手のデレク・ジーターが所定の守備位置を超えて中継し、駆け抜けざまに本塁に投げて走者をアウトにする。
ヤンキースとアスレチックスが対戦した2001年のアメリカン・リーグ地区シリーズ第3戦でジーター(ヤンキース)がみせた守備は、現在も「プレーオフ史上最も頭脳的なプレーのひとつ」として高く評価される。
一方で、ジーター自身は「スプリングトレーニングでも行うこと」と謙遜する。また、1992年にヤンキース傘下のA級グリーンズボロ・ホーネッツの監督としてジーターを指導したトレイ・ヒルマンも、ジーターの動きこそヤンキースが大リーグからマイナーリーグまで一貫して取り組んでいる「ヤンキースに求められるプレー」を体現したものと指摘し、ジーター個人の資質とともに体系的な指導の成果である点を強調している。
■「FAから育成で強くなった」
ヒルマンは、90年から12シーズンにわたり、短期A級からAAA級までヤンキース傘下の7つのマイナー球団を指揮した実績を持つ。「FA選手の獲得から選手の育成に方針を転換した90年代からヤンキースは強くなった」という体験に基づく指摘も考え合わせると、ヤンキースにおけるマイナー球団の持つ意味の大きさが分かるだろう。