プロ9勝の中野晶プロは今、ツアーの裏方として全国飛び回る「セッティングの仕事にやりがい」
中野晶さん(59歳)
久しぶりに会った中野晶(59)は現役時代に力強いショットを見せた“がっちり体形”ではなく、“ほっそり美人”になっていた。
「以前ほど大柄ではなくなっちゃったんです(笑い)」と言うが、上品な魅力は今も変わらない。
今、女子ツアーのコースセッティングを担当し、全国を飛び回っている。
昨年は「JLPGAツアー選手権リコーカップ」(宮崎CC)を含め5試合で腕を振るった。
「現地では大会初日に最終日までのピンポジションを決め、競技委員長に委ねておきます。私の頭の中に描いた“絵”の通りに競技を進めてくださいますね」
年間三十数試合を塩谷育代、山崎千佳代、茂木宏実、諸見里しのぶらと分担した。
「設定の仕事はプレーヤーだった経験をもとに、選手の技術レベルが向上して欲しいという願いを込めながら、特に公式戦はハードにしたいと思っています。選手をいじめるのではなくて、力を出して欲しいという思いです。選手に考えさせることも狙いで、『ここに打たないと入らない、ピンは攻められない』という設定もします」
大会期間中に、担当者のさじ加減ひとつでスコアが大きく動くことがある。
「選手の裏をかいてみたり、選手のもうひとつ上を行ってみたり。その分、セッティングの仕事はやりがいがあって面白いですね。大会によっては『きょうはやさしくしてあげよう』と思うとすごいスコアが出ますよ」
ある意味、選手とセッティング担当者との陰のバトルでもあるのだが、中野は現役プロたちをこう見ている。
「天候が崩れたらスコアメークは難しくなりますが、それでも昔より女子プロはうまくなっていると感じます。度胸もついているし、道具の変化は圧倒的に大きいと思います。それに専属コーチがいて、きっちり数値を示してスイングをつくっていく。スタッフに恵まれ、『それをやっておきなさいよ』と練習しておけば、試合でしびれることはないみたいですね」
現役だった時との違いも痛感する。
「試合中に心や気持ちの揺れが今の女子プロには感じられない。それほど冷静にプレーしている。もちろん表情に出ない動揺はあるだろうけど、それより練習量の方が勝っている感じがします」
■今の女子プロは度胸がある
中野の時代は各選手の心の動きを感じられた。
「私たちは最初パーシモンドライバーでしたが、ホントに操作性が難しかった。曲げたくなければわざとヒールに当てたりしていた(笑い)。今の女子プロはクラブ性能を生かして再現性を求め、淡々とプレーしているように見える。ドライバーの飛距離が270ヤードなんて、私たちの時代には夢のような数字です。練習と同じに構えて、同じに振り上げて、同じようにインパクトすれば曲がらない。それが今の選手が持っている強さなのかな。さらにジュニア時代から試合経験が豊富なのも大きい」
中野が試合中に心や気持ちを込めて戦っていたころ、忘れられない恩人がいた。
私はエリートではなく“しがみつく雑草”
ゴルフを始めたのは17歳、中学から通っていた学習院高2年生の時だった。
「父(昭二さん・故人)の練習に付いていき、父のスイングを見て、私が『ちょっとクラブを貸してみなよ』というところから始めました」
学習院大ゴルフ部に入り、3年生の時には全国学生3位などの好成績を残し、2年連続で日米学生対抗の日本選抜メンバーだった。
大学ではキャプテンとなりキャディーのアルバイト先だったセントラルGC(茨城)のオーナー・西野譲介氏(故人)から、「プロにならないか。ご両親が反対するなら俺が説得しにいってやるよ」と助言を受けた。
「西野さんの手を借りず、両親には自分で『プロになるから、ゴルフやらせて』と頼みました。親は『2年間だけやりなさいよ』と許してくれました」
90歳になった今も健在の母親・佳さんと同居する。
西野オーナーが経営する系列ゴルフ場の愛鷹600クラブ(静岡)へ研修生入社。南海(現・ソフトバンク)元監督の鶴岡一人氏らと親交があった西野オーナーのコースにはプロ野球関係者もよく来場。元メジャーリーガーのマッシー村上(雅則)氏からは、「ここの起伏のあるコースで、遠い方のグリーンに向かって18ホール走っていれば、何も怖いものはないぞ」とアドバイスされた。
愛鷹の練習場では斜面下でボールを拾い集め、いっぱいになったかごを持って斜面を駆け上がる業務が筋力トレーニングになった。
「ゴルフ場で鍛えられました。プロテストに合格するまで親との約束ギリギリ、まるまる2年かかっちゃいましたが」
24歳の春、当時は年2回行われていた1987年のプロテストを5度目で合格した。
大卒後にプロになるとひとまとめに「学士プロ」といわれるが、中野の場合は決してエリート路線ではなかった。
「全然違いますよね。学生タイトルはないですし、『華々しくデビュー』なんかではなかった。自分の気持ちの中では、私はどちらかというと、しがみつく『雑草』です!」
プロ入り5年目の91年「ミヤギテレビ杯」(松島チサンCC)で初優勝。
ちょうど全米女子アマ覇者・服部道子のプロデビュー戦として注目された大会だった。
「(首位発進の)最終日は緊張して最初からボギーが続いて1度逆転されましたが、その後に開き直れてバーディーが取れました」
最後は笑顔で優勝パット。当時のメディアは「学習院出のお嬢様V」と報じた。
「そうだったんですか、へえ~。私は雑草ですから、道子ちゃんに怒られちゃう(笑い)」
翌92年「JLPGAツアーチャンピオンシップ」(当時は明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦)で公式戦初優勝(ツアー3勝目)。
この時、中野は最終日のプレー後に恩人・西野オーナーの急逝を知らされ、号泣しながら優勝会見に臨んだ。
「プレー中は知らなかった。私の第二の親父ですね。豪快でものすごく懐の大きな方。非常にかわいがってもいただいた。プロテスト合格後はハワイの別荘に招待してくださいました」
日本人プロにはLPGAでグイグイ優勝してほしい
公式戦2勝を含むツアー通算9勝を挙げて、レギュラーツアー実働22年間で627試合に出場した。
実力もさることながら、温厚な性格で、持ち前の礼儀正しさから多くの後輩プロから慕われ、自然と“ビッグボス”的存在になっていった。
「たぶん友達感覚ですよ。大勢のときは10人ぐらいで行動したことがあります。軍団ではなくバラバラの“ピンゴルファー”の集団でしたね(笑い)」
鬼澤信子、三橋里衣、中嶋千尋、前川(三津谷)睦子らに加え、エリートプロの服部道子も一緒だった。
「私たちはみんなが一人で試合会場に行っていた。だから、群れるとかじゃなくて『練習ラウンド一緒にしようよ』『ご飯食べようよ』とか、そんなふうな時がありました」
根底にあるのは中野の面倒見の良さだった。
昨年9月の日本女子プロ選手権では、今も親交があり、生涯現役を掲げる鬼澤のキャディーを務めた。
「彼女が選手権の予選に出ようか迷っていたので『グズグズしている場合じゃないよ。本戦にいったらバッグぐらい担いでやるよ』と言っちゃった。そしたら予選会を通って電話で『出番ですよ~』と。約束は守りましたよ(笑い)」
本戦では鬼澤のプレーに心打たれた。
「予選落ちでしたが4日間やりたかったですね。彼女が手本となり刺激をもらった若手もいると思う」
現役シード組では大山志保、上田桃子に感銘している。
「志保ちゃんは、けがもあるけど長いこと成績を残してツアーに出続けるのは大変なことだと思う。去年の上田さんの活躍というのも忘れてはいけない。ストイックにゴルフに向き合っているからできること。私にはない真面目さ(笑い)。目標とかモチベーションとか、プロとしてゴルフに向き合う目というのは(上田と同門の)小祝さくらさんみたいに刺激をもらう人がいる。ベテランの“物言う背中”は大切ですね」
日本より先に今季の米女子ツアーが開幕した。今年から本格参戦する渋野日向子や古江彩佳らへの期待もある。
「メジャーチャンピオンの渋野と日本のメルセデス・ランキング1位の古江が参戦するわけです。力のある選手ですし、高い技術も持っている。遠慮なくどんどん優勝していってほしい。年に何勝もしてほしいですよね。畑岡奈紗さんはすでに海外に腰を据えているし、笹生優花さんも含め力は絶対にあると思う。時には米国のコースセッティングの中で飛距離というのがハンディになってくるかもしれない。だからといって『飛ばしたい』という方向に走らないで、今の実力でできると思う。何勝もしながら、全米女子オープンなど5つのメジャーで最終的には勝ってほしい! いろんなコースがありますから『ここチャンスだな』と思ったらグイグイ優勝してほしいですね」
自身も自分のゴルフを貫いた。
「自分のスタイルを壊したら、今の自分はないですよ。アウトサイドインのスイング軌道など師匠・岩本尚士プロ(故人)にも『そこを直しちゃったら、いいところ消えちゃうぞ』と言われていました。そこは生命線でしたね。頑固になることと直すことの両方があるんでしょうね」
いま中野には弟子がいない。
「私のところに来てくれる方は拒みませんよ」
若手プロにゴルフの素晴らしさを伝える役目がこれから出てきそうだ。 =この項おわり
(構成=フリーライター・三上元泰)
▽中野晶(なかの・あき) 1962年生まれ、東京都出身。学習院高時代にゴルフを始め、同大学に進みゴルフ部所属。全日本女子学生3位、日米学生対抗日本選抜メンバー。大学卒業後に愛鷹600クラブ(静岡)の研修生になり、2年後の87年春に5度目でプロテスト合格。91年「ミヤギテレビ杯女子オープン」で初優勝。「JLPGAツアー選手権」2勝を含むツアー通算9勝。身長169センチ。